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From Tokyo To Moriok
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From Tokyo To Morioka Salon de Earth C Blog
「明日なきさすらい」または『DRIFT AWAY』の巻
2014-11-22
 「明日なきさすらい」または『DRIFT AWAY』
 
さて、
今回のブログは、「あ」からはじまり、紆余曲折を経て最終的に「い」辿り着きました。
「あ」から「い」へ。
五十音の初めの「あい」という流れに若干抗いながら寄り道をして来たようにも思えてくる不思議。
「あい」は
「愛」なのか、
「逢い」なのか、
「哀」なのか
「I」なのか
「EYE」なのか
といったような謎解きを意識して書いたわけではありません。
今回は、ある曲を紹介したくて「あ」〜「い」への紆余曲折となりました。
 
その曲のタイトルは、
「明日なきさすらい」
原題「DRIFT AWAY」
 
1972年、メンター•ウィリアムズ(Mentor Williams)というソングライターが書き下ろし、ジョン•ヘンリー•カーツ(John Henry Kurtz)というフォークシンガーが歌った楽曲です。
1973年、黒人シンガー、ドビー•グレイ(Dobie Gray)が歌いヒットした曲が有名です。
ザ•ローリング•ストーンズ、ロッド•スチュアート、ロイ•オービソンなどもカバーした名曲です。
 
「ロックンロール」
 
この言葉は幾つもある音楽ジャンルの内の、
ある1つのジャンルを示す言葉です。
しかし、昨今ではこのジャンルという区分けがあまり意味を成さない時代です。それと共に、「ロックンロール」という言葉は、日本では古臭い響きをもってしまったような気さえします。
その為か、日本ではこのジャンルが「JPOP」という枠組みに組み込まれてしまった感が否めません。私はこの「JPOP」という言葉にはある種の違和感を感じます。
それは例えば、「ロックンロール」という言葉にはある音楽の一形態を表す意味の他にも違う意味があると思うからです。
ミュージシャン佐野元春の発言を引用すれば、「ロックンロールということば人の心の佇まいを表している」ということになります。
 
「日に日に訳が分からなくなって
降りしきる雨の中で光を探してる
絶対に負けるのは嫌なんだ
ストレス感じる、ひどい気分だよ
 
ビートをくれよ、心の扉を開けてくれ。ロックンロールの海にさまよっていたい。ビートをくれよ、心の扉を開けてくれ。ロックンロールの海でさすらっていたい」
 
これは、「明日なきさすらい(DRIFT AWAY)」の冒頭の歌詞です。
 
私、個人的な話をすると、数多のロックンロール•ミュージックに何度、命を救われ再び前進する力を頂いたことか、、、。私は、ロックンロールに恩義のようなものを感じているわけですが、ハリウッド映画を見ていると度々「さぁ、やるぜ!」という時に「ロックンロール!」という台詞が出てきます。
「ロックンロール」という言葉には、人を奮い立たせたり、前進させるといったよいうな意味もあるように思いです。その意味は広義に用いられます。だから、ロックンローミュージックには、ラブソングからボリティカルソングまで様々あるのかもしれません。
 
このような音楽フォームは他にはあまり見当たらないと思います。
 
さて、「明日なきさすらい(DRIFT AWAY)」を今の時代、この日本で今一度きいてみたいし、少なくとも私にはこの曲が必要かなと思い、今回、ご紹介しようと思いました。ご興味のある方は是非、歌詞と共に聞いてみて下さい。
 
今回は、1973年にヒットして黒人シンガー、ドビー•グレイのバージョンを紹介します。
 
http://youtu.be/gr_eVcCAUXo
 
「日に日に訳が分からなくなって
降りしきる雨の中で光を探してる
絶対に負けるのは嫌なんだ
ストレス感じる、ひどい気分だよ
 
ビートをくれよ、心の扉を開けてくれ。ロックンロールの海にさまよっていたい。ビートをくれよ、心の扉を開けてくれ。ロックンロールの海でさすらっていたい。
 
そうか時間の無駄だったんだな
いろいろやってても何だか分からない。外の世界はみんな心が冷めている。だから頼むよ、成し遂げさせてくれ。
 
ビートをくれよ、心の扉を開けてくれ。ロックンロールの海にさまよっていたい。ビートをくれよ、心の扉を開けてくれ。ロックンロールの海でさすらっていたい。
 
頭の中がすっきりしたら
そう、メロディーに心を動かされて
気分が落ち込んでたら、
やっぱり癒されるのはギターだよ
 
感謝してるよ、楽しませてくれて
歌がなくちゃいけないんだよな
リズムにライムでハーモニーが
助かるんだよ、強くなれるんだ
 
ビートをくれよ、心の扉を開けてくれ。ロックンロールの海にさまよっていたい。ビートをくれよ、心の扉を開けてくれ。ロックンロールの海でさすらっていたい。
 
ビートをくれよ、心の扉を開けてくれ。ロックンロールの海にさまよっていたい。ビートをくれよ、心の扉を開けてくれ。ロックンロールの海でさすらっていたい。
 
さあ、早く!たのむ。連れてってくれないか」
 
ということで「あ」から「い」へ、「明日なきさすらい(DRIFT AWAY)」の巻、で、し、た。
 
From Tokyo To Morioka Salon de Earth C Blog
 
text by 古山けい(The Soul Beat Ave.)
 

『居場所』の「い」の巻
2014-11-01
 「い」  
 
今回は、「居場所」についてちょっと話したいと思います。「居場所」と言っても、住んでいる家とか、そういった物理的な意味の「居場所」のことだけとは少し意味あいが違うかもしれません。私が話したいのはどちらかと言うと精神的な意味あいも含んだ「居場所」かもしれません。
ひと月近く前のトピックに、北海道大学の学生がISIS(イスラム国)に戦闘員に加わろうとシリアへ渡航しょうとして、警視庁が彼の周辺を捜索していたとありました。記事によると秋葉原の古本屋に貼ってあった募集広告を見て連絡すると、怪しげな男が窓口的役割になり、イスラム法学者を紹介したとありました。あまりにハリウッドB級アクション映画のような手続きで若干笑ってしまいました。
さて、その学生は何故、イスラム国に戦闘員として参加しようとしたのでしょうか?
伝えられるところによると、就職活動に失敗し休学した彼は、日本にいても何も変わらないと思い、ある意味、自分探しでイスラム国の戦闘員という過酷な環境に身をおけはば、何かが変わると思ったようです。ある情報では、自殺願望が強く、死に場所としてイスラム国を選らんだようだとの話も出て来ています。真相は定かではありませが何れにしても、思想や政治的なシンパシーを感じたわけではなさそうです。
ISISについてもう少し触れると、世界的にも一部の高学歴の若者達が戦闘員として参加していたりするとの情報があったり、真逆の例、つまり、自国で生きていくことへの先き行き不安、希望が見出せなく居場所のない貧困層の若者達がISISにアイデンティティを見出そうとしている例もあるようです。それは、イスラムの教義や信仰などへのシンパシーよりも、寧ろ、其処へ行けば何か自分にも出来ることがあるという、自分を求めてくれる場所的な側面もあるように思えます。
90年代に日本で起こったオウム真理教の事件を思い出しました。あの時のオウムの信者達も先の様な人物達が集っていたと記憶しています。
もちろん、先に語ったISISの若者達の参加理由については私の勝手な想像の域はでません。
 
もう少し私の身近、日本を見渡してみると、最近、繋がりだとか、絆だとか、特に2011.3.11(東北地方太平洋沖地震)以降良く目や耳にします。もちろん、そういった風潮を揶揄するつもりはありませんが、私自身はその過剰な使われ方に若干の違和感を感じています。「繋がり」「絆」といった過剰なまでの言葉の氾濫は、真逆にその感覚の希薄さといった不安感、閉塞感が日常的には蔓延しているように思えてきます。表層と深層のジレンマが私たちを取り巻いているように思えてなりません。
私の幼少期は、まだ、長屋的な人々のコミニュケーションが残っていました。この長屋的なコミニュケーションにはプライバシーというものがまるでありませんでした。その半面、共同体的帰属意識が常にあり、助けあったり、いがみ合ったりという真逆なことが日常的に表面化して、そこらじゅうでちょっとした諍いを目撃することができました。しかし、このような適当な日常的ガス抜きが自然にあったため、それでもそこで暮らす人々はそれぞれの感情に上手い形で折り合いをつけて暮らせていけてたのではないでしょうか。ある意味、奇跡的な場所がその昔の時代には何処にもありました。もちろん、これは私の幼少期の記憶の話なので若干の懐古的美化があることは否定できません。
近づかない方が良い変人や狂人も中にはいましたから。でも、その判別が今よりは分かり安かったですし、なによりも、そういう人たちも共同体の内側で暮らしていたという奇跡な町があちらこちらにありました。もしかしたら、今も地方都市にはあるのかもしれませんが、、、。
 
これは共同体の話です。
 
例えば、これはファンタジーだけど、渥美清が演じた寅さんシリーズにおける寅次郎というキャラクターは、80年代後半には既に寅さん離れが言われていたけれども現代ではどの程度のリアリティを獲得できるのか、、、?リアリティどころかファンタジーも獲得できないかもしれません。つまり、寅次郎というキャラクターを受け入れるコミュニティは、実際問題現代には何処にあるのか、という問題。
それは、まるで普通に生きている人が、自分を受け入れてくれるプラットホームを自分で探さなければならない今と、とりあえずは、文句タラタラと言われることもありながら既存のプラットホームに向かえてもらえていた昔の違いが顕著に現れているように思えます。
これは果たして飛躍でしょうか?
確かに自分と同じような常識と感覚を持ち合わせた人間同士ばかりが集う共同体は暮らし安く居心地も良く感じるかもしれない。
けれど、本当はそのような居場所は幻想ではないでしょうか。そもそも人間一人一人は明らかに違う環境で育ち、様々な誰にも明かせない事情を抱えてたりしていたりするもの。その深いところを置き去りにして表層たけを作ろわないと生きて行けない共同体、社会はなんてただ息苦しいだけなのではだろうかと私は思うのです。
 
ザックリ言えば、それが今の日本というのが私の印象です。
 
あなたにはしっくりくる居場所があるでしょうか? もしも既にそういう居場所がある方は幸せだと思います。
 
正直、私自身にはありません。なければ探すか、、、?
実は私はそうは思っていません。本来はそこにあるものだと思っています。
しかし、無い。
私はそこに無ければ作るものだと思っています。
では、何処につくるのか、、、?
 
もしかしたら、私の場合、そういうことを模索するツールが創作であり、演劇、舞台をしている理由かもしれません。
 
あなたの場合は、どうでしょうか。
 
ということで「い」の巻、で、し、た。
 
From Tokyo To Morioka Salon de Earth C Blog
 
text by 古山けい(The Soul Beat Ave.)

『ランブリング』の「ら」の巻
 「ら」
 
今回は非常に個人的な話であります。なので少々の退屈さを伴うかもしれません。ご了承ください。
 
「ランブリング」
 
思い起こせば、母親のララバイ(子守唄)から私の人生は始動し、
物心が付く頃にはすでに「ランブリング」な日々。
幼稚園を中途退園してリンゴ畑でランブリング。
ここから私のランブリング的人生は始まりました。
そして現在に至ります。
私の場合、時期時期に何故かランブリング状態が顕著に表面化します。
小学四年生の頃は登校拒否で近所の畑をランブリング。
高校受験に失敗した一年間は盛岡の街の中心を流れる北上川の川沿いの道でランブリング。
高校入学してからは、授業にも行かず映画館やボーリング場(そこは非常に優れてました。なにせ、ボーリングの他、ビリヤード、卓球、そしてピンボール台まで完備され、なんと高校から歩いて3分の距離という文句の付け所のない遊技場)
スクリーンの中をランブリング中、
出会ったフランシス•フォード•コッポラ監督作「ランブルフィッシュ」に刺激を受け、自分もこんな映画を作りたいと思い込んだ末、高校を卒業して神奈川県川崎にある映画の学校に入学するが、この映画の学校でもランブリングは続きました。そもそも学校そのものが学生にランブリングを推奨する装置の様な学校だったので、ランブリング状態になるのも当然と言えば当然でした。
そして、在学中に演劇に手を染めちゃったからそれが運の尽き(笑)ますますランブリング•ライフは続き、未だランブリング続行中!(笑)
 
ランブリング=放浪
常に放浪しております。
心の放浪(笑)
 
ちょっと格好をつけて堅苦しい言い方をすると、
哲学しながら心の旅をしている感じですね。
 
京都には京都都学派の哲学者西田幾多郎がよく散策をした道ということで知られる「哲学の道」というのがあります。西田幾多郎もまた歩きながら色々考えていたランブリング•マン。
因みに、私と西田幾多郎を並べてなど語るつもりはありませんし、私はそのような資格を持つような人間ではありません。そのあたりの身の丈は分かっているつもりでありますので、このくだりは御勘弁を(笑)
 
ところでランブリング。
何故に未だにランブリング?
 
元来生まれながらに持ってしまった気質、というか、業のようなものかと思っております。
例えば、私はロードムービーに目がありません。ヘンリー•ミラーが大好きな私。これもまた、そんな気質からなのでしょうか。
でも、実はどちらかといえば、インドアな生活を好みます。
矛盾しているようですね。
本来は喧騒を嫌いますし、賑やかなところも好きではありません。ロートレックのムーランルージュを描いたその猥雑さは好きなのに、、、。
 
人との関わりもあまり積極的ではないため、見兼ねる友人たちが、何かと外へ誘い出してくれます。もしかしたら、十数年振りに舞台をはじめたことになったのもそういうことか?(笑)そんなことで辛うじて社会と接している私。
でも、夜ともなると、音楽を聴きながらよく街を彷徨したりします。つまり、完全に病気です(笑)
で、何故にランブリング?
また、話を戻します。
 
社会には表もあれば裏もあります。
それは何も裏の世界、例えば昔なら任侠、ヤクザ社会と堅気社会の様な二項対立的な話をしているわけではありません。社会はもう少しややこしく、皆さんもご存知の通り堅気の世界にも裏があります。表で語られる話などは、社会のほんの一部。それを私たちにもの凄く矮小化して説明しているのが、テレビや新聞なんですね。これらメディアの本質を知り、自分たちは、社会の表層でしか生きていないのかもしれないなんて思いはじめると、ああ〜なんて私たちはの人生は他者によって喜怒哀楽を左右されているんだろうか、などと若葉の頃のように今も思ったりする四十代は、イタイなと思ったりもします(笑)
けれど、我が身は自身で受け止めなければ誰もキャッチしてくれないから、自らの足で歩き考え生き抜くしかないのです、
などと夢遊病者のように歩き続けているのかもしれません。
 
これが私のランブリング•ライフ。
心の放浪。
 
そんな私ですので、このブログでもあっち行ったりこっち行ったりと、放浪しながら考えながら行き当たりバッタリで書いております。なので、このFrom Tokyo To Morioka Salon de Earth C Blogというブログ、結局なんなんの?的なものになっているかもしれませんね(笑)
ただ、よく文章には書き手の人間性や性格が出るといいます。なるほど、と私を良く知る一部の人たちは随分納得するかもしれません。優柔不断で天邪鬼な、私。
因みに、私の作る舞台はこの様な感触なのかもしれません。
一度くらい触てみても悪くないと思います、とちょっとだけ宣伝(笑)
 
さ〜て、今回最初に設定した章ももうすぐ終わりを大詰めをむかえます。恐らく、終着点にもう気付いてる方はいると思います、が、まだ、明かしませんよ。それは、また、次回にとっておきます。
 
ということで「ら」の巻、で、し、た。
 
From Tokyo To Morioka Salon de Earth C Blog
 
text by 古山けい(The Soul Beat Ave.)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

再びの「す」は「据え膳食わぬは男の恥」の「す」の巻
2014-09-26
 「す」
 
人類は時代と共に様々な分野で革新的な進歩を遂げて来ています。
特に科学分野、
医療分野の躍進は躓きながらも、
確実に進歩をしてきたと言えると思います。
しかし、それらを創造して来た人間はどうでしょうか?
今も昔も大人は自分を棚に上げて、
若者への愚痴を何千年も繰り返してきていますし、
世界を見渡すと人間たちの争い事は絶えません。
しかも日常に於いては、
人間の愚かしさがどんどん水底に隠されてしまい、
なかなか見え難くなっている分、
表面化した時には人間は落ちるとこまで落ちてしまい、
獣の道から抜け出せない理性の欠如した何物とも言いがたい
化け物に変貌しているケースも多いような気がします。
 
さてさて、
諺には、先人たちからの教訓、示唆が含まれていると言います。
 
「据え膳食わぬは男の恥」という諺があります。
あの前置きで、この諺かい?!
とチャチャを入れたい方もいらっしゃるとは思いますが、
そこは一寸だけ我慢をして頂きまして、
もう暫くこの駄文にお付き合い下さいませ。
 
「据え膳食わぬは男の恥」
一般的な意味は、皆さんもご存知の通りですが、
大辞林によると
「女の方から誘惑してきたとき,
それに応じないようでは男として恥だということ」とのこと。
ちょっと男根主義的で、
今は抵抗感がある方もいらっしゃると思います。
 
この言葉は元々、人形浄瑠璃や歌舞伎狂言の「夏祭浪花鑑(ナツマツリナニワカガミ)」の中の台詞「据え膳と鰒汁を食はぬは男の内ではない」というところからきています。
鰒汁とは鰒鍋のことのようです。
この言葉は江戸時代からあるんですね。
しかし、「据え膳」と「鰒汁」の言葉の通り命懸けなんです。リスク的には「据え膳」を前にした時も「鰒汁」を喰らうときも、同じくらい腹を括ってかからなきゃ男が廃るという感じでしょうか(笑)
 
この言葉は私の記憶では昭和にはまだ耳にしましたが、今ではあまり聞かなくなってしまいました。昨今では、「据え膳」が整ったと勘違いした方々が女性から訴えられたりと、まぁ、この諺が仇となって社会的に罰を受けるケースも多いようです。
 
男性諸君、
美人局(つつもたせ)や
ハニー•トラップにはくれぐれもご注意を!(笑)
 
因みに、私はハニーフラッシュなら一度は浴びてみたいものです。
蛇足でした(笑)
 
そういえば、劇画や映画では、この「据え膳〜」的なキャラが多いですね。ルパン三世も007ことジェームズ•ボンドも常にこの諺を実践します。大抵痛い目に会うのですが、それでも、また果敢にこの諺を実践するあたりは男の中の男と言えるのかもしれません。懲りない男たちとも言えますが、、、(笑)
しかし、ここ最近のシリーズを見る限り、その様なキャラクターももう見る影はないように思います。やはり、この様な男性像はもう今の時代にはそぐわないということでしょうか、、、? 
実に残念な時代だな思います。
 
男性からアプローチするのも非常に難しい世知辛い世の中。なにせ一目惚れで、突然告白などしたもんなら、女性から「怖い」という反応が返ってくる場合もままあるのだから、出会いの少ない世の男性はどうにもならない状況です。
キモいならともかく、「怖い」ですから。「怖い」の次は「ストーカー」と呼ばれ、果ては警察に駆け込まれたりしますから、ロマンスを無理矢理作り出す手立ても今はなかなかありません。
実際、逆の意味で女性たちがそのような自衛策を取るしかない現状が現代には確かにあると思います。それは、大人の男の心の未熟さも多分に問題としてあると思います。
 
このように息苦しい幾多の困難を越えて一線を超越するには、昔とは違ったなんらかの覚悟と勇気と諦めの良さが男性には必要なようです。それを端的に言い表すと、故いかりや長介風に「さぁ、次行ってみよう!」という智慧(笑)
 
その昔、と言ってもギリギリ昭和の戦中までは、日本の地方などには、「夜這い」という風習がありました。この風習は様々な問題を含みながらも日本の男女を取り持つ手段、もしくは村社会を存続させるシステムとしてある時期までは確かに機能していたようです。
 
最初に言っておきますが、これを現代日本で実践したら高い確率でお縄になりますので、絶対に真似はなさらぬようお気をつけて下さい。
 
私がこの夜這いを初めて理解したのは、今は亡き古尾谷雅人主演、故田中登監督作「丑三つの村」という映画の中でした。公開当時は、たしかR18かなんかの指定を受けて公開されてましたが、当時15歳だった私は、予告編で興味を唆られていたので当然コッソリ観にいきました。
 
この映画のモチーフは、実際に1938年に起きた津山事件を基にしています。この事件を題材にした大変有名な小説と映画が、あの横溝正史原作、市川崑監督作「八つ墓村」です。しかし、私が惹かれた映画は、市川崑監督作の「八つ墓村」ではなく田中登監督作の「丑三つの村」でした(勿論、市川崑監督のも楽しめましたが)。
 
津山事件とは、1938年岡山県苫田郡西加茂村大字行重の貝尾・坂元両集落で、そこそこの資産家の家で育ち、子供の頃から村一番の秀才で皆から将来を嘱望されていた都井睦雄が、ある日から「夜這い」にハマっていくのですが、結核と診断され兵隊として戦地で戦うことも出来なくなったことを契機に、村中に結核であったことが知れ渡り、彼は今で言うところの引きこもり状態になり、村人たちへの憎悪が高まり、猟銃と日本刀で僅か2時間の間に30人を殺害したという前代未聞の事件です。
 
その詳細を知りたい方は、御自身での検索をオススメします。この事件に関しては、様々な情報がネット上に溢れてますので。
 
で、夜這いについて。
この映画では五月みどりが中年の未亡人の妖艶さを見事な演技で演じきってます。彼女は、「女独りの夜は長いんよ」とかいって、主人公を誘ったりします。勿論、主人公は夜這いをするわけですが、、、。
この場面を観て私は初めて「夜這い」を理解しました。その頃私は未熟で愚かな普通の青少年だったので、「据え膳食わぬは男の恥」を見事にシステム化したなんて素晴らしい風習なんだろうか、と真面目に思いました(笑)
 
いつ何時、自分の前に五月みどりのような女性が現れてもいいように、イメージトレーニングだけは欠かさずにいましたが、十代の私の前には待てど暮らせどとうとう五月みどりは現れてはくれませんでした(笑)
 
ところで、私は世の男性方に「夜這い」を推奨しているわけではないので誤解なきようよろしくお願いします。
 
そもそも昔の夜這いとは、相互に共通理解があったといいます。
 
正に「丑三つの村」で描かれていたように、待つ女性と訪れる男性には、その夜起こるべきして起こる二人の密かな祭り事が相互理解としてしっかりと共有できていたといいます。
しかし、このような無茶に見える風習は、犯罪の危険性も多くはらみ、実際にも多くの性犯罪が起こったといいます。現在の日本にはこのような風習が残っていないのは、当然のことだと言えば当然でしょう。
 
因みに、わたし個人的には、ヒューマンライツの視点からも勿論絶対に「夜這い」には反対します!
と一応強く言っておきます。
 
しかし、実際に「夜這い」という風習がある時までは村社会で機能していたんだと考えてみると、もしかしたら当人たちは勿論のこと、両家両親も公認していた「夜這い」という名の婚前の契りもあったのかもしれないな〜、なんて想像した方には、是非、赤松啓介著「夜這いの民俗学 •夜這いの性愛論」をお勧めします。良い意味でバッサリと裏切られ、私たち日本人の根源的な隠された民族性を白日の下に晒してくれます。赤松氏は私たちを裏の日本史を語りながら新たな地平に導いてくれるかもしれません。私は良い意味でノックアウトされました(笑)
 
ということで長々と脈絡のない駄文にお付き合い頂きありがとうございます。今回はちょっと上手く着地できなかったかな、、、?筆者はコラムも人生もいつも紆余曲折なのでご了承を(笑)
 
ということで「す」の巻、で、し、た。
 
From Tokyo To Morioka Salon de Earth C Blog
 
text by 古山けい(The Soul Beat Ave.)
 
 
 

健康食品サプリメントの「さ」
2014-09-14
 「さ」
 
身体に必要な栄養を全て食物から摂取するのはなかなか難しいという話を良く耳にします。
そこで重宝されているのがサプリメント。
私も以前、幾つかのサプリメントを生活に取り入れてみました。
その栄養素としてはビタミン系が多かったのですが、
他にミネラル、ブルーベリーなど。
その頃は、サプリメントの実際的な効果云々よりも、
ある意味、気分を優先していたような気がします。
 
「健康的な生活」ということですね。
 
一粒サプリメントを摂取する度に、
「なんか、身体の調子が日増しに上向いてきているな〜」
という気分です。
 
実際の効果は分からないまま、
体調と気分はどんどんスペシャルに近づいてきているぞ!
という思い込みからサプリメントへの依存度が深まる日々。
少しでも身体が怠いなと思うと、
マルチビタミンを多目に取ってマカも摂取する、
みたいな感じでした。
 
今思うと、若干その思考傾向は
ジャンキーの中毒症状のそれとたいした違いはありませんでした。
もちろん、社会生活は営めるものの、
お金はじゃんじゃんサプリメントに消えていくわけです。
 
月末は常にストレス。
サプリメント消費に伴なう金欠ストレス。
そして、そのストレスからまたサプリメントに依存する日々。
 
サプリメント地獄の始まりです。
 
「今月はマルチビタミンだけにしょう」
と月初に堅く心に誓うものの、
月末には、
ビタミンE、ミネラル、亜鉛、鉄という具合。
何故か大豆イソフラボン、コラーゲンまで取り入れている始末。
君はお肌の荒れがそんなに気になっているのか?!男なのに〜!
と思わずツッコミを入れたくなるような状態。
 
私の場合、
何事にも熱しやすく冷めやすい
という性格がこの時ばかりは功を奏して、
とりあえずサプリメント地獄からは解放されました。
 
さて、
サプリメントという健康食品は、
本当に身体に必要な栄養素を補ってくれるのでしょうか。
 
2013年、
アメリカの医学誌アナルズ•オブ•インターナショナル•メディシンで
米ジョンズ・ホプキンス大学の医学者たちが論文を発表しました。
その論文のニュース記事によると、
 
「心臓血管疾患やガン、認知症や言語記憶、心筋梗塞、いずれに対してもビタミンやミネラルなどのサプリメントは効果がなかったとし、過去の研究から、ベータカロチンが肺がんリスクを高める可能性や、ビタミンEや高容量のビタミンAの摂取が死亡率を高める可能性などが明らかになっているため、安易な摂取は避けるべきとしています。唯一ビタミンDに関してはさらなる調査が必要としていますが、サプリメントの健康効果に関する議論は終わったと結論付けています」(2013年12月20日Yahooニュースより)
 
とのこと。
私たちは、まんまと健康食品業界にしてやられていたのか、、、?!
 
私の知るところでは、
アメリカで何故サプリメントが多く消費されていたかといえば、
医療保険制度がその一因だと聞いたことがあります。
アメリカの場合、基本は自由診療。
他はそれぞれに合った医療保険に加入しているそうです。
しかし問題は、
15%を上回る(2013年)言われる低所得者のケースです。
 
彼らは基本的に保険未加入なのだそうです。
それに加えてアメリカの医療費はメチャクチャ高額だと聞きます。
低所得者は気軽に病院に行けないために、
体調不良になるとサプリメントを摂取したり、
ドラッグストアで市販の薬をガバガバ飲みます。
海外、特にハリウッド映画を観ていると、
主人公が朝起きるとすぐにアスピリンを飲む場面をよく目にします。
(そういえば最近ではあまり見かけないな)
これはアメリカやヨーロッパでは
ありふれた光景なのかもしれません。
どんな体調不良もアスピリンでなんとか治して、
高額医療を受けるハメになることを回避する。
でなければ、医療費で自己破産という末路に、、、。
実際、アメリカの自己破産の6割が
医療費関連だと何処かのニュース記事でも触れてました。
 
その辺りのアメリカ医療の事情は、
マイケル•ムーア監督作
『シッコ★Sicko』
を観ることをお勧めしましす。
 
とにかく、このような背景から、
例のオバマ大統領が2008年アメリカ大統領選挙で公約として掲げた、
医療保険改革制度「オバマケア」。
当初は、低所得者にも医療保険が適用されるとして、
やっとアメリカも福祉面が充実するかと思われました。
しかし、事はそう簡単には運びませんでした。
州による保険料強制徴収の義務化や、
各州がそれを行わなければ
メディケア(国の医療保険制度)
を打ち切るとしたものですから、
26もの州から猛反発が起き、
連邦政府を訴える事態にまでになりました。
オバマケアに対する疑問視が噴出し始めたわけです。
そして、2013年には例の二週間政府閉鎖状態にまで雪崩れ込み、
このオバマケアは制度成立寸前で実質廃案となりました。
 
日本人から見れば不思議ですよね。
 
この廃案の根底にはアメリカ人の政府不信があるとも言われているようです。
彼らは国が個人に必要以上に介入してくるのを嫌うといいます。
アメリカという国は、50州からなる連邦共和国です。
ですから、州によって法律も違います。
極端に言えば、同じアメリカなのに、
死刑制度がある州と無い州があるくらいですから。
アメリカは州によって社会の在り方が違うとも言えます。
そのバラバラな州を、
なんとか一つにしている連邦共和国がアメリカ合衆国なんですね。
 
おそらくアメリカ人は国への帰属意識よりも、
州へのそれの方が高いのではないかと思います。
 
銃規制の困難さも突き詰めれば、
もしも国と戦う事になったら、
銃の一丁でも持っておかないと国と戦えないだろうという、
到底日本人には想像できない考えが
アメリカ人の銃規制反対側にはあるといいます。
これは、南北戦争の経験が今でも彼らの思考傾向に、
少なからず影響しているのではないでしょうか。
 
つまり、
リスクを承知で自由を取るか。
政府からの干渉を受け入れ管理されて生きていくのか。
 
この極端な思考の振り幅が、
サプリメント消費大国なる由縁説を説くには、
流石にちょっと飛躍が極端で根拠も希薄かも知れませんね。
 
でも、日本でのサプリメントの消費のされ方と、
アメリカの消費されるその根源的な理由は、
どうも似て非なるもののような気がします。
それを一言で表すのは大変難しいですが、
敢えて誤解を恐れずに言えば、
 
「自由の代償」と
「依存の代償」とでも言いましょうか。
 
もちろん、我々日本人は後者です。
これは、国民気質の違いだと思います。
サプリメント消費から透けて見える日本とアメリカの国民気質は、
 
アメリカ人=自由への過剰なる希求人
 
日本人=依存をやめられない粘着人
 
これはとてもステロタイプで独断的な物言いでしたね。
 
笑って許して。
 
あしからず。
 
ということで「さ」の巻、で、し、た。
 
※文中で引用したYahooニュースの詳細は下記URLまで。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakamegumi/20131220-00030835/
 
From Tokyo To Morioka Salon de Earth C Blog
 
text by 古山けい(The Soul Beat Ave.)
 
 
 
 
 
 

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